研究者は研究対象の生き物に似てくるのかという考察

してみせて、言って聞かせてさせてみて、褒めてやってもなかなか動かない男が書くブログ 。

 とうとう4月が始まった。巷で飛び交う入社式という響きに、ふと自分の新人時代を思い出す時もある。振り返ると色々あった。本当に色々あった。まさかネズミの研究を命じられるとは当時考えてもみなかった。そしてそんな研究の日々で感じた疑問について本日は書きたい。しばしお付き合いいただければ幸いである。

 さて本題に移る。その疑問とは何か?ずばり、研究者は研究対象の生き物にだんだん似てくるのかという噂である。馬鹿馬鹿しい話であるが、古来より火の無いところに煙は立たぬとも言う。大真面目に議論する余地はありそうだ。そこで筆者とネズミを例にして考察したい。いささか自分語りが入る点はご容赦願いたい。

 では人(今回は筆者)と研究対象(今回はネズミ)、果たしてどこが似てくるのだろうか?まず見た目に着目したい。姿や形がネズミに似てくるのか?真剣に論ずるならば、あり得ない。残念ながら人間には尻尾が無いし、顕著に伸びた前歯もない。ましてや体毛の量においては惨敗である。及ぶべくもない。加えて、そもそも互いに骨格が根本的に異なる。たとえネズミを二足歩行させたとて筆者と立ち姿は似ても似つかないだろう。このように姿や形が似る説は否定されるのではないか。

 ならば、次に仕草が似てくるという行動的な部分を論じてみたい。これは案外当てはまるかもしれない。というのは現場で何度もネズミを観察する、そしてそれを会社の同僚など誰かに身振り手振り交えて説明する、これを長年繰り返しているとネズミの動きを完全にトレースしてしまうようになる。こうなると、ふとしたジェスチャーにも「なんか本物のネズミっぽい雰囲気」が出てしまうのであろう。このように動きがネズミに似てくる、これは真実かもしれない。

 そう考えると、思考回路が似てくるという指摘もあながち間違いとは言い切れない。何故か?一つは「ネズミが見ている世界」とのズレを埋めようと日々研究しているからかもしれない。例えば餌の好みの調査にしても、現場のネズミが好む食品とそうでない食品の食べ比べをする、成分表を見比べる、時にはそんなこともする。これを拗らせると自分の食事も同じ視点で見ようとし始める。周囲から「ネズミ化している」と言われる所以はこんなところにあるのかもしれない。

 最後に、日頃の言葉遣いも多少影響してはいまいか。なにも語尾に「チュー」とかつけている訳ではない。それは社会人として憚られる行為である。ただ、ネズミには通路や部屋の隅といった壁に沿って歩いたり走ったりする習性がある。専門用語として隅行性(ぐうこうせい)とか壁伝い行動と呼ばれるものである。そして筆者も会議や食事会の席、また集合写真の撮影では隅っこを好む癖があり、これをして「ネズミと同じく偶行性があります」みたいに学会の懇親会や研修会の壇上でやってしまうのである。もはや身から出た鼠である。

 結論として研究者が研究対象の生き物に似る、これはある意味で真実だと思われる。そしてそれは研究対象を細大漏らさず観察し勉強し続けたあまり、行動や判断基準までを自身へ投影し過ぎた結果ではなかろうか。裏を返せば、それだけ愛と熱意を持って研究対象と向き合ってきた証かもしれない。いささか自己正当化が過ぎるように思うが、今日のところはそんな考察をもって筆を置かせていただきたい。

春のレベルアップセミナー始まります

知らないうちに大量に貯まっていたポイントという埋蔵金を探し当てた男が書くブログ。

 某日、プロ野球のオープン戦を観戦しようと思い、チケットを予約した時のことである。支払い方法を選ぶ際、知らない間に貯まっていて、かつ利用できるポイントが大量にあることに気がついた。歓喜である。頭の中ではチャンステーマが演奏されていたに違いない。必然的に気持ちが大きくなる。いつもより少し良い席を取り、そして球場の雰囲気を大いに堪能した。現地からは以上である。

 さて、いよいよ日本プロ野球も開幕まであと少しとなった。大リーグに至っては本日から、それも東京ドームで開催である。試合のチケットを勝ち取ることができた皆様には惜しみない羨望の眼差しと拍手を送りたい。ところで、である。テレビで野球中継を見ていると、毎年一つは聞きなれない単語やルールを耳にする。近年ではスイーパーなる球種がそうであろうか。調べたところスライダーの一種らしいがピンと来ない。横に大きく変化するそうだが、ここはまたテレビの解説者の説明を聞きながら勉強することにしたい。

 そして最後に本題である。我々害虫駆除の世界にも新たな制度・ルールが何年かおきに登場する。具体的に挙げるならば「化学物質のリスクマネジメント」であろうか。その意味するものは何か、また業務の中で何をしなければならないのか、誰か分かりやすく解説してくれないかなと願うばかりである。そんなリクエストにお応えして、今回の弊社春のレベルアップセミナーでは近年話題のトピックスについて解説する。開催は明日の福岡会場を皮切りに今週末の大阪、来週の名古屋、東京会場へと続く。当日の飛び込み参加も大歓迎である。興味のある方がおられたら是非申し込みフォームからお申込みいただきたいと思ったところで本日は筆を置かせていただきたい。

国境に浮く風待ち浦・宇久島を巡る

マニアック過ぎる聖地巡りを楽しむ男の物語

 私事で恐縮であるが、今回は宇久島を舞台にした個人的な旅のお話をしたい。 しばしお付き合いいただければ幸いである。また読み終えた後に、長らく眠っていた旅心へ再び明かりを灯された方がおられたら嬉しい限りである。

1.宇久島ってどこ?

 はじめに宇久島の場所を簡単に説明する。五島列島の最北端に位置し、長崎県に属する。長崎市を起点にすると、その北西にニュッと伸びた西彼杵半島(途中から西海市となる)があり、そこから大きく西へと視線を移すと南北に広く伸びた島々が見えてこないだろうか。これが五島列島であり、その一番北にあるのが宇久島である。以上であるが、説明にいささか乱雑な点があることはお許しいただきたい。

2. 旅の目的は?

 次に今回の旅の目的である。どこかの島でのんびり有休を過ごしたい。以上である。付け加えるならば、宇久島の南東に浮かぶ寺島の、さらにその南西に浮かぶ鼠島への上陸ないし撮影が狙いである。社内のネズミ担当者として、日本各地に散らばるネズミの名を関した土地は訪問・撮影しておきたいという聖地巡りである。一般人には理解し難い衝動ということは承知である。

 なお、この鼠島は満潮時に島、そして干潮時にはすぐ隣の寺島と陸続きになって歩いて渡れるようだ。地形学ではタイダルアイランドと呼ばれるらしいが、専門外の分野への言及は止める。話を元に戻す。とどのつまり、宇久島から渡し舟に乗せていただいて寺島へ移動しさえすれば、あとは干潮を待つだけで上陸できるのである。ちなみに宇久島観光案内所の前にある島内図にも鼠島の姿は確認でき、ちょっぴり細い道もつけられている。

3.いざ出発

 さて、宇久島へのアクセスである。博多からの夜行フェリーや佐世保からの高速船などが挙げられる。筆者は佐世保からの航路を選択した。深夜に路線で佐世保市内に入り、翌朝一番の便で鯨瀬ターミナルを出港するのである。

 余談だが出港まで多少の時間があった。近くにある、朝早くから営業されている定食屋さんで朝食をいただいた。素朴でどこか懐かしい、忘れられない味であった。いつかまた出張や旅行で近くに来れたなら、お邪魔させていただきたい。

 そして船の中からの写真である。佐世保港内には常に海上自衛隊の護衛艦や米海軍の艦艇が停泊しており今日もそれらを目にすることができた。米海軍のミゲルキースであろうか、独特な姿をしたものも見られた。

 窓から見える豪快なしぶきに思わず心が躍る。些細な一瞬も、振り返るとよき旅の思い出である。

4.宇久島に到着

 高速船に揺られること2時間、宇久島に到着。港の名前は宇久平。読みは「うくたいら」である。「たいら」という響きにピンときた方はその通り、島には平清盛の弟(異母兄弟)、平家盛が辿り着いた島であるとの伝承が残る。歴史にいささか疎く、観光パンフレットの記載に頼った説明となってしまったことはお詫び申し上げたい。

 島内でアゲハチョウの紋=平家の紋所が見つかるのも、その伝承に基づくものであろうか。なお隙あらば虫の話題を広げることは当ブログの宿命である。

 歴史についてもう一つ。宇久島ではかつて捕鯨が盛んにおこなわれていたとのことである。写真は当時利用されていた捕鯨砲である。各地にそういった痕跡、文化、従事された人々の息づかいを感じることもできよう。

 そして鯨カレーが島内にあるお店で食べられる。もちろんお昼ご飯にいただいた。程よい辛さと鯨のカツがマッチして大変おいしかった。ご馳走様でした。

5.鼠島を撮る

 さて、お目当ての鼠島である。理想は上陸であるが、それをすると丸1日かかることが予定を立てた時点で明らかになった。それは勿体無い。他にも島内に見るべき場所は山ほどある。妥協して島内一の標高を誇る城ヶ岳展望台から島を撮影するプランにした。なお、展望台の標高は259メートル。ちょっと高いけれど観光案内所で予約していた電動自転車をお借りして、いざ出発。

 観光案内所を出発し、先ほどの鯨カレーをご馳走になり、そして展望台へ。スマホの地図は見ずにパンフレットに描かれたマップと頭の中に入れておいた情報だけで目的地を目指す。アナログな旅だって、時には楽しい。

 城ヶ岳展望台への途中。行きは電動自転車でなければ心が折れるような急勾配の上り坂であった。そして帰りも帰りで、急ブレーキを掛けようものなら勢い余って頭からひっくり返るのではという傾斜であった。しかし、ニヤニヤと笑って楽しんでいる自分がいたこともまた事実である。

 さて、展望台に到着。自転車を停めたところで汗ばんでいることにようやく気づいた。ぬっかね!(あっついわ!)と叫べば地元の方っぽく見えるだろうか。きゃーないたぁ(ホンマに疲れたわ!)と呟けば、小さい頃におじいさんから聞いた言葉かい?と問われるだろうか。誰もいない広場で一人、首を傾げた。

 展望台からの眺め。眼下に見下ろす緑と目の前に広がる濃い青、そして見上げると澄み切った空色。加えて数条の白い雲。来てよかったと思った瞬間。坂を駆けて息があがったからか、それとも楽しいからか。口は終始、真横に開きっぱなし。

 そしてお待ちかねの鼠島である。形がネズミを思わせるから鼠島なのだろうか。であれば、モグラの仲間に近いとされるトガリネズミに似ていると感じた。なお、古くは地元の漁と関係があった島との記述をどこかで見たように思うが記憶が定かでない。もし当時を知る方がいらっしゃるのであれば、いつかお話を伺いたいものである。思い出話があるのなら、もちろんそれも含めて。さて、メインイベントはこれで終了である。

6.島内風景いろんころん

 あとは旅の写真を少々。島内最北端にある対馬瀬鼻灯台。夜の海に瞬き、船の安全を守る大事な存在である。そしてそれを管理されている方々にも感謝である。なお、扉の辺りにあるQRコードを読み取ると、灯台カードというものが入手可能である。興味がある方はチャレンジされたい。

 時々足を運ぶ戦跡。なぜ、どうして。その話はまたいつか、どこかで。

 トラックに轢かれそうになり、道路の真ん中で固まったままになっていたカマキリ。近くの茂みの中へ逃してやった。

 筆者の身近なところでは見られない、トノサマバッタともクルマバッタとも分からないバッタ。こんな写真が撮れるとは子供の頃は想像もしなかったな。

 ここで見られる希少な昆虫。別に普通種ならばぞんざいに扱ってよいと言う訳でもないが、こういった生物が住む環境は大事にしたい。

 ところで島の一部で見たのが浜に打ち上げられた夥しい漂着ゴミであった。遺憾ながら見て立ち尽くすのみで何もできなかった。きっと誰かのうっかりだとか、自分一人くらい良いだろうとかが積もるに積もった結果ではなかろうか。小さな積み重ねは、時に何かを成し遂げるものにもなれば、何かをひどく傷つけるものにもなる。海風に頬を叩かれながら、ふと感じた次第であった。

 そんな旅も終盤に差し掛かり電動自転車を漕ぎ続けること数時間、走行距離は30キロ以上。最後の目的地に到着し、浜辺を散策。見たこと感じたこと、なかなか整理はつかない。一つ言えることは、今回もなかなか忘れられない、良い旅であったことである。

 浜辺に少し名残惜しさを込めて、足跡をつけて帰る。そうしていると、ふと横に何かの足跡があることに気づいた。鳥ではなさそう。イタチでもなさそう。まさか、ネズミではあるまいな。最後に一つ、こんな演出を残してエンディングを迎える。鼠島を発端に始まり、ネズミの足跡なのかよく分からないものを見て終える。なかなか筋書きが良くできた旅であった。

 さて、旅館に帰り暖かい夕飯をいただき、ぐっすり寝て、そして翌朝に佐世保への帰途に就いた。ところで道中目にした宇久島のコンセプト、「風待ち浦」とは何か?明確な答えに行き着かない。風待ち港から類推するに航海に適する風が吹くまで待つ場所、あるいは嵐から退避するための安全な場所を指すと解釈することにした。その上で、少し日常に疲れてしまった時。新しい旅立ちのために力を蓄えたい時。訪れたい場所の一つがここ宇久島ではないだろうか。そう思ったところで本日は筆を置かせていただきたい。皆様も一度、来てみらんね。

新年ご挨拶と去年我が家に侵入した虫たちのこと

年始に合わせて靴を新調したせいで、当分の間はランチや飲み会の帰りに自分の靴がどれだか分からなくなるであろう男が綴るブログ

 新年あけましておめでとうございます。皆様にとって本年が幸多き一年となりますようお祈り申し上げます。また今年も弊社をどうぞよろしくお願いいたします。

  さて、ご挨拶に続いて新年最初の投稿である。干支に合わせたヘビの話題をお届けできれば理想的である。しかしどうだ、取り掛かってみるとかなり難しい。月並みな内容に終始するか、ここに載せられないようなグロテクスな写真の羅列が関の山であった。やはり蛇の道は蛇である。それは専門家に任せるとして違うお話をしたい。しばしお付き合いいただければ幸いである。

いつもの年末恒例行事

  いささか自分語りで恐縮だが筆者には年末のルーティンがある。それは私が知らないうちに自宅へ侵入し、そしてリビングにある照明カバーの中へ入り、そこで空しく死んでいった虫の調査である。具体的にはそんな虫たちの死骸の数(大雑把に)と虫の種類数を1年おきに記録する作業となる。一般人から見ればただの奇行である。

 去年度(2024年分)のソレを調べている様子。照明カバーを外し、その中で見つかった虫の死骸を一ヶ所に集めてカップに移す。こうして得た虫たちの死骸をその後会社に持ち込んで顕微鏡で観察するのである。去年の分(2024年)、一昨年の分(2023年)、そして数年前の分(例えば2016年)とデータは年を重ねるにつれ蓄積されていく。奇行とて継続は力なりである。

 概要は以上、そして昨年1年間の結果発表である。合計17匹であった。一昨年と同様に極めて少ない。最も多いユスリカの仲間でさえ15匹にとどまった。このユスリカ類だけでもかつての最盛期では72匹を数えた。それが今はこの凋落ぶりである。家の中に侵入した虫の数が少ない。ブログの尺が持たない。そんなことで頭を抱えている人間は世界広しと言えども筆者一人であろう。

 閑話休題。他にはタマバエの仲間が1匹見つかった。種類によって植物に寄生する、アブラムシを食べるなど、生活の仕方とか習性といった専門的にいうところの「生態」が異なるため、一括りにして論じることが難しいグループである。一つ言うならば、外から建物の中へと侵入することの多い虫という点だろうか。

 最後にチョウバエの仲間が1匹。これは外から建物の中へと侵入することもあるが、お風呂場や台所など水回りで湧いて出ることの方が多い。つまり家の中から発生しやすい虫である。この死骸に限れば、さしづめ去年筆者と死闘を演じたものたちの残党か子孫のなれの果てであろう。以上、去年分の調査であった。

 ところで筆者をこのような奇行に駆り立てる動機は何か?好奇心である。実に度し難い。しかしこうした年に1回の観察を続けた結果、一つ発見があった。それは直近2年を境に照明カバーの中で死んでいた虫の数と種類数が大幅に減少したことである。ではその境目で自宅に起きた変化は何か?照明を蛍光灯からLED灯に換えたことが挙げられる。それが本当の理由なのか。勘違いで別の要因があるのか。まだ結論は出ない。議論の余地はある。ただ真面目に言えば、これもまた科学である。日々の業務の中にもこうした遊び心は大事である。

できるだけ早く虫の侵入を察知する方法

 さて、この調査を例えば極端な話、年に1回ではなく1時間に1回くらいの短い間隔に変更すると何が起きるか?明快である。虫が家の中に入ったことをリアルタイムに近い形でチェックできるようになる。もちろんこの方法で調べるのであれば「虫に照明カバーの中へ入ってもらう必要がある」という前提条件に注意が必要である。そしてそこから話を大きく飛躍させる。実はそんなリアルタイムのチェックと似たようなことを可能にする道具が世の中には存在する。ペストビジョンFC型である。

 詳細はホームページに詳しい。ここでは概要のみを述べる。飛び回る虫が寄り付きやすい光を放つ機械(一般に捕虫器と呼ばれる)の一種であり、おびき寄せた虫を機器内部にセットした粘着紙(一般に捕虫紙と呼ばれる)で捕獲する。そして一定時間おきにその粘着紙を撮影し、そこにくっついて捕まった虫の数をAIで解析・カウントしてくれるのである。 なお、本機はいわゆるIoT機器である。察しの良い方はその通り、粘着紙で捕獲した虫の数は専用ウェブサイトから確認可能である。つまり現場へ行かずともウェブ上で捕獲の状況を把握できる。

 加えて捕獲が一定数(設定値)を超えると本体のLEDランプが緑色(平常時)から赤色(警告時)に変わる。またメールでアラート通知が届く。これらの機能も見逃せない。「言いたいことが分かったぞ」という声が聞こえてきた。その通りである。例えば食品工場や医薬品工場など虫がいては困る施設で「虫の侵入が起きていないか、きめ細かくチェックしたい」というリクエストに応え得るマシンである。

 ここから先は担当者に引き継ぐが、もし興味のある方がおられたら幸いである。是非お問い合わせをいただきたい。さて、年始早々に話題が害虫駆除の道具へと行き着いてしまった。これは当ブログの宿命である。水をお風呂場のどこへ流しても最後は排水口へと流れ着くのと同じである。ところで本日もよく仕事を頑張った。そろそろ帰宅してお風呂の時間にしたいと思ったところで筆を置かせていただきたい。

舞台裏を歩く・NAMAマラソン

膝に鈍痛が走る男が書くブログ

 唐突な書き出しであるが、弊社は年末に一大行事がある。いつも当ブログや姉妹ブログをご覧いただいている方はピンときたかもしれない。12月に沖縄で開催されるNAHAマラソンへの参加である。本来は筆者も走らなければならなかったのだが、大会直前に故障者リスト入りをしてしまった。そのため撮影班として参加させていただいた。今日はそんな大会を陰から見つめた景色を記したい。しばしお付き合いいただければ幸いである。

そもそも弊社マラソン部とは?

 本題へ入る前に弊社マラソン部について簡潔に触れたい。部員は基本的に弊社代表の片山社長より年下の正社員である。一部例外もあるが割愛する。次に活動である。部員が決まった時に集まって練習をする訳ではない。各自好きな時間に好きなだけ練習するスタイルである。もちろん合同練習をしてもよいし、大会への参加も自由である。ただし12月のNAHAマラソン。これは強制参加である。

 こう書くと、いささか厳しい社風に思われるかもしれない。しかし安心して欲しい。完走できなくても罰則は無いし、タイムが遅かろうが評価に響く訳では無い。体調により途中棄権することも許されるし、先約がある場合は当然そちらを優先してもらえる。このあたりは過去の記事に詳しく記載してある通りである。要は練習をサボっていると悔しい目に遭う。それだけである。他にも色々とあるが以上概要である。

どんな日程・予定なのか?

 続いてスケジュールである。大会前日から沖縄入りするのが普通である。そして研修会をする、観光を楽しむ、これは年によって変わる。姉妹ブログにある通り今年は観光満喫コースであった。そして晩には前夜祭を開いて大いに気勢を上げるのである。その様子もそちらをご覧いただきたい。それとお食事は毎度のことながらお昼も夜もどこも大変美味しい。さすが沖縄である。これは強調しておきたい。

 なお、生き物好きの人数が約半数を占める弊社のことである。観光の道中、ひとたび虫や鳥が現れると吸い込まれるようにその方向へと消えていく。これはご愛敬である。もちろん途中で行方不明になる者はなく、後からきちんと戻って来る点は付け加えておく。

マラソン部撮影班のお仕事

 さて本題、今回は撮影班として臨む大会当日である。いつも通りホテルの前に全員集合して一緒に記念写真を撮る。そして走るメンバーを見送った後、自身は前日に打ち合わせた撮影地点へと赴く。後ほどそこを通過するであろう部員の雄姿をファインダーに捉え、残すためである。なお撮影地点はスタートラインから2キロほどの距離であろうか。一番走るのが早い部員の到達予想時刻を元に時計を睨みながらの移動である。

 しかし、走るメンバーの目線に立つと一つ懸念事項がある。撮影場所は事前に周知徹底している。それでも、走りながら撮影班の姿を大勢の観衆の中から見つけ出すことは難しい。どうすべきか?その回答の一つが上の写真にある被り物である。今回初の試みである。実に目立つ。分かりやすい。なお筆者がこれを着用している姿は割愛する。見られることは一向に構わないが、見た人に何らかの精神的ショックが及ぶ未来は想像したくない。

 話を元に戻す。そうして撮影場所で無事走るメンバーに出会い、シャッターを切り、そして撮った写真は姉妹ブログに掲載されている通りである。ここでは代表として前回チャンピオンの萩原君の写真だけを残して割愛する。なお、このシーンは「これ預かって下さい!」と預かり物を手渡されたところである。こういった預かり物サポートも撮影班の大事な仕事である。

 こうして最初の撮影が終わった。次は同じく事前に打ち合わせておいたゴール手前での撮影である。その前に手早くお昼ご飯を済ませる。ついでに撮影した写真をカメラからスマホに手早く転送・整理して社内に共有する。大会に参加していない皆様への実況である。走る人、今回はそうでない人、そこの一体感が生まれるのであれば写真班冥利に尽きる。

 やがて時間が来た。ゴール手前に定めた撮影場所へ再出動である。満身創痍で帰って来るメンバーのために大声で名前を呼んで気づいてもらい、そして撮る。全員分を掲載したいがあいにくスペースが無い。萩原君と同じく若手のホープ、坂口君の雄姿を代表に載せておきたい。なお「あ、走る前に預かっていただいたアレ、返してください」という受け渡しが行われる場合もある。この際も他の走者や運営スタッフさんの邪魔にならない場所へ誘導することが大事である。そして待つこと15時過ぎ、最後尾を告げる車両の到着をもって写真班は御役目御免となる。以上である。

舞台裏にありて

 ところで今回、大会を陰から参加させていただいた。あらためて色々な方のご協力のおかげで毎年参加させていただいているのだなと実感した次第である。

 万一、リタイアしてしまった時に迎えに来て下さるバスの運転手さんと、指揮するオペレーターさんとか。

 朝の早くから準備をして下さっている給水所の皆様。

 筆者もしばしばお世話になる簡易トイレを設置し、また回収して下さる業者の方とか。

 ずっと最後尾から、走る人とともにコース上を行く運営の方々であるとか。いつも大会に参加させていただいていて見る表の景色と陰から見る景色。その両方を見て、改めて運営に携わっている皆さまに心から感謝である。

 ところで怪我をしてしまった今回は走れなかった。走らずに済んで嬉しいかと問われれば、心の奥底で大きく頷く自分がいたことは確かである。しかし一方で、遠くに眺めるあの輪の中に一緒にいたかった。一緒に歓声を浴びたかった。そんな寂しさ、悔しさがあったこともまた事実である。であれば、今年いっぱいは怪我を治すことに専念し、来年に向けて頑張りたいと思った次第である。

 もちろん撮影班という存在は不可欠である。しかし来年こそは大会に参加して完走し、みんなと一緒に祝杯を上げたいと願うばかりである。

 さて本年の一大イベントも終わり、年末も残すところあとわずかとなった。紙面も残りわずかとなったところで再度マラソン大会の運営皆様、また沿道で応援してくださった皆様、それと毎年このような年末イベントを企画して下さる社長に感謝申し上げたいと思ったところで筆を置かせていただきたい。

秋に見かけるイモムシ ~害があるもの・無いもの~

ベッドの上で布団に丸まったまま出てこないミノムシが書くブログ

 何年か前の秋、地元でランニングをしていた時のことである。歩道の端を歩く大きな芋虫が視界に入った。下の写真のような幼虫(=セスジスズメ)である。実に気持ちが悪い。しかし人や自転車に踏まれて死んでは不憫である。足を止めて近寄って素手で掴み、草むらに逃がしてやった。するとである。その一部始終を近くにいた小さな子供に見られていたようであった。緊張が走る。ランニング再開どころではない。ところがどうだ。開口一番「わぁ、芋虫さんよかったね〜」とのお言葉であった。何か全てが救われたような気分であった。

 さて本題に移りたい。秋になると芋虫毛虫、そして蛾が身近なところに落ちていることが多くないだろうか。例えば道端に。あるいは家の周りに。筆者が住むアパートもそうである。先日は下の写真のように見事なサイズの蛾が廊下に落ちていた。エビガラスズメであろうか。グライダーのように立派であるが、一般人にとってはどうだろう。恐らく恐怖の対象でしかないかもしれない。

 ところで蛾や芋虫毛虫が極度に嫌われる理由は何か?まず見た目が気持ち悪いことに尽きる。時には可愛いという真逆の評価が下される場合もあるが少数の意見であろう。次に毒がありそうだからとの声も聞こえてくる。この意見は見逃せない。毒を持つ、持たないものについて詳しく解説したいが途方もない分量になる。そこで今回は秋の時季に限定して述べたい。少なくとも下の写真のように「巨大な蛾」、それと冒頭に登場した「お尻にアンテナのようなものがある大きな芋虫」では毒を持つものはいない。手乗りさせても問題無いが、その際は周囲に誰かいてこちらを見ていないかどうかの確認が必要である。

 また蛾や芋虫毛虫に限らないが、家の周りに迷い込んだ虫を野に返す行為には一つ注意がある。それはまかり間違っても人の家の敷地や畑の中、また人通りの多い場所へ逃がさないことである。筆者とて自宅の庭木に食欲旺盛な毛虫を放たれるとどう思うか。遺憾の意を表明するだけではおさまらないであろう。それと同様である。できるだけ野山の近くや人気のない場所へそっと放つに限る。多様性が叫ばれて久しい昨今ではあるが、ここは大多数の一般人の感覚に寄り添った行動をとりたい。

 この他に公園や人家で秋に見かけるのが下の写真の芋虫である。これはツマグロヒョウモンという蝶の幼虫である。全身からトゲの生えた毒々しい見た目であるが何のことはない。ほぼ無害である。トゲに触れると少しチクチクするかもしれないが、後で腫れる・かぶれるということはまず無い。肌の弱い筆者が触れても問題は無かった。ただしこの幼虫はパンジーなどの花の葉っぱを食べてしまう。そのため庭の害虫になる点には注意が必要である。公園や人家で見かけると書いたのはそれである。植え込みやプランターに植えられたパンジーからも発生する。園芸がお好きな方は注意されたい。

 以上、外で見かける秋の蛾や芋虫毛虫のことから最後は家の中のソレへと話題を変えたい。すなわち家の害虫駆除のお話である。冬が近づくと下の写真のような芋虫が家の中に出るという相談を受ける。見た目は黄色っぽくて毛も何も無いシンプルなものらしい。大きさもせいぜい1センチほどである。ただし家のあちこちに出没するようである。こんな時はノシメマダラメイガという蛾の幼虫を疑っていただきたい。

 この幼虫は米や小麦を食べる食品の害虫である。他にインスタント麺やビスケットなど菓子類も被害に遭う。ドライフルーツや乾燥豆も同様である。乱暴に言えば乾燥した穀物、野菜、果物であればほぼ何でも餌にする。従って一般住宅でも普通に湧くことがある。その場合の発生原因はキッチンや物置に置いたままのお米、お茶っぱ、ぬか、保存食・・・こういったものであろう。ただ煮干しや鰹節、干し肉など乾燥した魚・肉類では発生ができない。

 玄米から発生した例を上の写真で示す。なお黒くて細長い物体は成虫で、詳しく書けば交尾中の雄と雌である。さらに増えるつもりのようだ。恐ろしい。さて、こうして食品の袋の中で増え続けたノシメマダラメイガは何かの拍子に外へと出てくることがある。これは袋の口を緩く縛っているとか、幼虫が袋を齧って穴を開けたとか、色々な原因が考えられる。そしてある日家の中で奇妙な芋虫をひょっこり見かけ、これは何?となるのである。

 加えて冬が近づくと虫たちは冬眠のことを考えなければならない。この幼虫たちも同様である。ではどのように冬を越すか?手頃な場所に繭を作り、その繭の中で冬を越す。上の写真はその繭で場所は一般事務所の部屋の中、天井近くの壁である。繭を作るのはこういったLの字になった角っこや段ボールの断面の中といった場所が好きなようである。またこの冬越しの時季は冬眠場所を求めて幼虫が活発に動き回るらしく、その過程で「家のあちこちで芋虫が見つかる」ということになるのであろう。つまり冬の前に家の中でこんな光景が見られるのは、この虫たちがどこかでたくさん発生しているということである。

 では対策について触れたい。身構える必要は全くない。要はキッチンや倉庫など食品を保管している場所をチェックし、虫が発生していないかどうか確認するのである。そして虫が湧いているようなものがあれば密封して廃棄する。それだけである。対象は既に述べた通りだがお米や小麦粉、乾麺、菓子類、お茶っぱなどである。その中でも茶色っぽい砂のようなもの(=幼虫が出した糞)や、表面に薄く糸が張ったようになっているもの(=幼虫が吐いた糸が絡まっている)もが混じっていれば即刻処分である。また廃棄処分と併せて掃除機で清掃することもオススメしたい。

 最後に、そういった掃除の最中に虫が飛び出して来た時はどうするか?ただ立ち向かうだけである。幸いノシメマダラメイガに毒はない。素手でひねり潰せば解決である。ただしスマートに対応したい場合は殺虫剤の出番である。スプレータイプで安全性により優れたものを虫に直接かけてやれば解決である。しかし、清掃をきちんと行ったのに発生が止まらない。こんな時は何か見落としがあるかもしれない。弊社までお問い合わせをいただければ幸いである。なお、ノシメマダラメイガという名前はすこぶる複雑である。筆者が慣れない喫茶店に入り、フラペチーノとなどと呼び慣れない単語で舌がもつれてしまうのと同様かもしれない。名前が覚えにくければ単純に「メイガ類」と言っていただいても問題ない。ところで筆者の自宅の米櫃は大丈夫だろうか。同じような虫が湧いていないだろうか。不安に駆られたところで本日は筆を置かせていただきたい。

自宅のチョウバエ根絶作戦

チョウバエのように舞い、蚊のように刺す男が綴るブログ

 このところ小さな黒点が自宅のお風呂場で宙を舞い、そして壁にとまっている。近寄って観察すると正体はチョウバエという害虫であった。これは水回りの汚れから発生する典型的な虫である。つまり虫から浴室が汚いと言われているようなものである。誠に遺憾である。自分の不精を棚に上げてチョウバエへの敵愾心が湧き上がった。徹底駆除である。虫にとってお門違いも甚だしいが、今日はそんな一般住宅のチョウバエ対策について書きたい。しばしお付き合いいただければ幸いである。

1. まずは掃除

 さて、チョウバエの駆除方法とは何か?現場によって少しずつ異なるが基本は掃除に尽きる。ではどこを掃除すべきか?具体例を挙げれば膨大な数になる。従って今日は一般住宅の例に絞り込みたい。最初に見ておきたいのがお風呂場であり、中でも排水口の周りである。

 排水口と言っても洗面台、湯船、そして浴室床の3ヶ所がある。どれを指すのか?全てであるが、特に注意したいのは床にあるものであろう。大抵は蓋がされており、これを開けるとゴミ受け(ヘアキャッチャー)が姿を現す。そのゴミ受けには髪の毛と一緒に気持ちの悪い「茶色っぽいぬめり」が付着しているはずである。その光景が目に浮かんだ方もいるかもしれない。いささか気分を害されたかもしれないが話を続ける。 その「茶色いぬめり」とは一般にスカムや汚泥など呼ばれる水回りの汚れである。

 この汚泥ともスカムとも呼ばれるぬめりこそがチョウバエの幼虫の餌になるのである。もうお分かりであろう。これがチョウバエの発生原因であり、その除去が駆除への第一歩である。またゴミ受けのみならず、その下にあるトラップ(白い筒状、左右に少し捻って外す)も同様にぬめりが付着しているはずである。 排水口の周りにも同様であろう。あまり気の進まない作業であるが、ひとまずこの掃除から始めていきたい。 なお、このぬめりが取れるのであれば掃除の方法はこだわらない。メラミンスポンジでこする、それっぽい液に浸けて落とす、手段は様々である。

 ただ掃除の際に独特の異臭が立ち込めることは覚悟したい。まるで硫黄臭である。お風呂場だけに硫黄泉で嗅ぐソレだと思い込もうとしたが、それは無理があり過ぎた。百歩譲って同じニオイだとしても、発生の過程に決定的な違いがある。そもそも温泉に失礼である。 話を元に戻す。このように掃除の最中は換気扇をフル稼働させたい。加えて掃除で生じたゴミを捨てるタイミングも重要である。できればゴミ収集の前日が望ましい。また清掃の目安を上の写真で示す。分かりやすく言えば素手で触っても抵抗が無いくらいの綺麗さがよいだろう。

 続いて浴槽の排水口であるが、奥の奥まで掃除することが難しい。排水口周りの汚れを落とし、適当な配管掃除の液体を流し込むくらいであろう。また、排水口には分解可能なパーツがあることもある。その場合は取り外してきちんと汚れを落としておくに限る。

 ここまで書くと洗面台の排水口への対処も想像がつくと思われる。浴槽のそれと同様である。以上である。

 あとはお風呂以外にマークしておくべき場所はキッチンの排水口である。浴室床のそれと同様にゴミ受けが最初に目に入る。次にそのゴミ受けの奥に防臭ワンが見えるはずである。キッチン周りからチョウバエが発生している場合、この側面と裏が地獄の形相を呈していると思われる。試しにメラミンスポンジでこすり、そして得体の知れない色をした何かが付着すれば確定だろう。気分を害するニオイとセットで対応を求められるが、ここは我慢してきちんと掃除をしたい。

2. 殺虫剤の力を借りたい場面

 しかし、中には掃除が難しい場所もある。例えば洗面台やキッチン流し台のオーバーフロー防止穴である。飲食店の厨房でも時々目にする事例であるが、中に水と一緒に汚れが入り込み、それが長年堆積してチョウバエの発生原因になっていることもある。狭い場所なので奥に手が届かず、害虫の温床になっていると分かっていても手が出せない。もどかしいが、そんな時こそ殺虫剤の出番である。

 今回はお風呂のチョウバエ対策に使いやすいものをご紹介したい。コバエ用ムースFTである。名前の通り殺虫剤の混ざった柔らかい泡、つまりムースを出すもので上の写真のようにオーバーフロー防止穴などに注入するような使い方ができる。ムースなので穴の隙間を適当な布なので塞ぎながら注入すると狭い空間にも殺虫剤と泡を充満させることができる。

 コバエ用ムースFT注入施工後の様子。なお泡と言えば汚れも一緒に落としてくれると期待しがちである。しかし残念ながらその効果は無い。汚れは残されたままである。その代わり殺虫剤を散布した後にチョウバエが発生しづらくなる効果はある。詳細は商品の詳細ページに譲るが、要は昆虫の幼虫が正常に成長できない(簡単に言えば脱皮する時に皮をうまく脱ぐことができない)成分が長時間残るのである。恐ろしい響きであるが何のことは無い。脱皮することの無い(=作用する部位が無い)人間にとっては安全性の高い成分である。そもそも人と虫とでは体の造りは根本的に異なる。安心してご利用いただきたい。

 しかし殺虫効果と洗浄効果の両方が欲しいという声もあるだろう。そんな方にはチョウバエバスターをお勧めしたい。これは最初顆粒状であるが水と反応してどろんとした泡になる。排水口の周りへ投下するにはもってこいである。そしてその泡はぬめりといった汚れを落とす効果とチョウバエなどの虫を殺虫する効果とを併せ持つ。つまり発生原因対策と駆除を一度に行うことができる。

 なお水と反応して泡になると書けば、モコモコと勢いよく泡が盛り上がって来て、泡だらけになる光景を想像するかもしれない。しかし使ってみるとチョウバエバスターの粒を落とした水面から広がるように緩い泡が広がっていくような感じである。ここは期待外れという声もあれば良い塩梅という声もある。それはさておき、繰り返しになるが排水口のトラップや防臭ワンを外した後に撒くといった使い方がオススメである。

3. 最後に注意点

 コバエ用ムースFTは他のスプレーと同様に可燃性のガスを利用しているため火気厳禁である。具体的にはキッチンのコンロの火、またガス給湯器などである。掃除が終わってお茶やコーヒーで一服したいところであるが、その前に換気を徹底(1時間ほど)をしていただきたい。またこれからの季節はストーブの利用も始まる。暖房機器の有無にも注意が必要である。

 なお、排水周りの掃除に関して塩素系の洗剤を利用する方もおられるだろう。ここで気になることは今回ご紹介した殺虫剤を撒く前後でこれらの洗剤を使用すると有毒ガスが発生しないかどうかである。結論として問題は無い。ただしチョウバエバスターは塩素系や酵素系の漂白剤と併用・混合すると効果が落ちるようである。そもそも殺虫剤は用法用量に記載されている通り、単独での使用が前提である。洗剤や他の殺虫剤とは混合せず、時間を空けるなどして単体でのご利用をお願いしたい。

 ところで、お風呂でこのような大掃除をするとチョウバエが居場所を失うためか一時的に複数飛び出してくるという経験がある。しかし程なくして姿を消すため心配は無用である。また、こういった対策を講じてもなかなかチョウバエの発生が止まらない場合は何か別の問題があるのかもしれない。そんな時は一度弊社までお問い合わせをいただければ幸いである。さて、お風呂の掃除が終わり、快適なバスタイムを楽しむことができるようになったところで本日は筆を置かせていただきたい。

季節の感じ方

機種変更が終わり、もぬけの殻になったスマホを普段通りに鞄へ入れて出勤していった男が書くブログ

 時々日本の四季はもはや二季になってしまったとの声を聞く。そんなはずはあるまいと甘く見ていたところ、そうと認めざるを得ないような毎日である。何だか悔しい。さて本題に移りたい。皆様は季節をどのように感じておられるだろうか。例えば空模様だろうか。あるいはイベントだろうか。本日はそんなお話をしたい。しばしお付き合いいただければ幸いである。

 10月の終わりにしては大して寒くない今日この頃。日中は半袖で十分な日もある。このように気温では季節が分かりにくい。ところがニオイではどうか?ニオイ=秋のカメムシの話題に繋げるつもりであろうとの指摘が聞こえる。図星であるが最初は綺麗な話題から広げていきたい。このところ町の中で良い香りを放っているのがキンモクセイである。この香りを嗅ぐと秋の訪れを実感するものである。このように嗅覚から感じる秋もあるだろう。

 次に音である。秋といえば各地でお祭りが開催される。地元の祭囃子が思い起こされた方もおられるだろう。続いて身近なところではどうか?夜になると虫たちが奏でる音色が聞こえてくる。仕事から帰り自宅で一服していると、家の中にもその演奏が流れてくることがある。これを騒音と感じるか風物詩と感じるか。それは聞き手次第である。しかしいずれにせよ、このように聴覚から感じる秋もある。なお上の写真は弊社の事務所にやってきたコオロギである。このように時々音色だけでなく虫そのものも建物の中に入ってきて人を驚かせ、そして悲鳴を上げさせることもあるのはご愛敬である。

  他には味覚の秋もある。残念ながら昆虫食の話題ではない。それは弊社姉妹ブログをご覧いただきたい。季節がおかしくなったような昨今、作物は例年と比べて大きさや味は変わらないのかどうか。多少気になるところであるが旬のものを食べると季節の変わり目を実感するものである。なお、自分の年齢を考慮すると食べ過ぎには注意が必要になってしまった。食べ物で季節だけでなく年齢まで実感してしまうようになってしまったのは甚だ遺憾である。

 話を元に戻す。しかし人間は視覚から8割以上の情報を得ているとの説がある通り、やはり目で見たものから季節を感じることが多いのではないだろうか。心がすっかり害虫駆除の世界に染まった筆者は建物の周りにカメムシが飛んでくると秋を実感する。そうでなくともマンションの廊下に大きなカマキリが出現したりするとそう思うものである。なお一般の方にとって虫とは少なからず気持ちの悪い存在である。季節と虫とがリンクして、あの虫がまたやって来る嫌な時季になったと感じてしまう方も、もしかしたらおられるかもしれない。

 いささか自分語りで恐縮であるが、虫が一般の方から嫌われていることを示すエピソードがある。筆者の高校時代、教室に虫が飛び込んでくることが年に数回あった。時には大きなバッタやコガネムシ、ヤモリがやって来るのだが、それだけで周囲はもう大混乱という始末であった。そしてこんな時は颯爽と躍り出てこれらを捕らえ、そして外に逃がすよう心掛けた。この瞬間だけは黄色い声援に包まれるからである。ただし一つ注意が必要である。それはその後きちんと手を洗っておくことである。これを怠ると評価は暗転する。無情だがそれが現実であった。下手をすると虫と関わる人間でさえこの扱いであった。

 また大きなクモや蛾と対峙する際にも気を付けるべきことがあった。これらは殊更恐怖の存在として映るのであるが、これに立ち向かう人間もまた異質な存在として見られていたようである。周囲から見ればエイリアンVSプレデターのようなものであったのかもしれない。今思えば素手で立ち向かうのではなく、殺虫剤とは言わずとも何かしらの道具でスマートに対処する必要があった。今の知識が当時の筆者にもあればよかったのだが後の祭りである。

 さて、そんな悲惨(?)な体験談からの今回のまとめである。すなわち殺虫剤のお話に着地したい。なるべく虫に直接触れることなく駆除する方法は何か?選択肢は色々であるが、害虫が現れるであろう場所に前もって殺虫剤を撒いておくくことであろう。こうすると殺虫剤を撒いた場所を害虫がトコトコ歩いているうちに殺虫剤の成分が徐々に虫の体内に取り込まれ、そして駆除される。今回は季節を考慮して建物の外側全体へ飛んでくるカメムシへの対処を例に挙げたい。この場合、建物の外全体という広い範囲へ散布できる殺虫剤が理想的である。

 具体的には水で薄め、そして噴霧器で散布するような殺虫剤が該当する。噴霧器と書けば小難しく聞こえるかもしれないが何のことは無い。農家さんが農薬をまく時に使う手押しポンプのようなものを想像していただければよい。同じ要領でシャーッと撒くのである。次に撒く殺虫剤であるが、広い範囲へと散布するのであればほぼニオイの無い物がありがたい。加えて今回であればカメムシに効くものがベストチョイスである。それであればカメムシに好評のサイベーレ0.5SCをお勧めしたい。具体的な使い方については商品ページの通りであるが、不明な点があれば弊社スタッフまでお問い合わせをいただければ幸いである。

 さて最後に虫といっても我々の目を楽しませてくれるものも多い。あまり毛嫌いせず適度にお付き合いをしたいと思ったところで本日は筆を置かせていただきたい。

庭から蚊を根本的にいなくする

蚊の羽音をカーステレオと呼ぶ男の物語

 某日久しぶりに実家へ帰ったところ、待っていたのは庭にはびこる蚊の猛攻であった。長い出張疲れを癒すつもりの帰省であったが誠に遺憾である。急速に心の中に怒りが渦巻いた。瞳の奥にはグルグル巻きの蚊取り線香が映っていたかもしれない。もはや情状酌量の余地は無い。徹底抗戦である。そんな一般住宅の蚊の駆除について本日はご紹介したい。しばしお付き合いいただければ幸いである。

1. 蚊の種類を特定する

 さて、蚊に限らず害虫駆除で大事なことは何か?それは相手の正体を知ることであろう。となれば、まず1匹捕まえて種類を特定しなければなるまい。そう思って庭に躍り出れば、こちらから探しに行くまでもなく蚊の群れが迎えに来た。好都合である。早速一番のろまなものに平手打ちを一撃して身柄を確保した。若干の怒りがこもったせいだろうか。いささか死骸は分解してしまったが、正体を知るには十分な状態でそれは手のひらに残った。

 こうして捕らえた蚊の見た目を観察する。全体的に黒っぽくて、お腹などを中心にところどころ白い縞々模様が入る。これはヒトスジシマカであろう。一般的に蚊と呼ばれるもののの代表格である。では次にこのヒトスジシマカが発生するのはどこか?蚊といえば水のある場所という声が聞こえてくる。正解であるが、もう少し具体的な答えが欲しいところである。 次にそれを考えてみる。

2. 発生場所を突き止める

 まずヒトスジシマカが発生するのは水たまりのような場所である。例えば庭であれば金魚鉢の中、蓮など水辺で育つ花を育てるため水を張ったままの鉢、また植木鉢のお皿に溜まった水などである。他に外にほったらかしたままのバケツやプランターがあればそこに溜まった水、落ち葉や土で排水溝が詰まってしまった洗い場の周りなども挙げられよう。

 これらを踏まえて実家の庭を観察する。親の手入れが行き届いており綺麗だが、蚊の発生しそうな場所が無い訳でもない。中でもひときわ禍々しい雰囲気を放つものがあった。大きな水瓶である。曰く、魚を飼っているのではなく雨水と落ち葉が溜まるに任せているようである。不吉な予感が走る。すぐに中を覗き込んでみた・・・見つけたよ。中から無数のヒトスジシマカが現れた。間違いない。実家の庭ではこの水瓶が蚊たちの根城なのであろう。

 なぜそう言い切れるのか?理由はこの水瓶の中身を見れば分かるに違いない。蚊の幼虫、いわゆるボウフラは水中の有機物を食べて育つ。具体的には落ち葉や泥、金魚鉢では魚が食べ残した金魚の餌なども当てはまる。雨水と落ち葉が溜まるに溜まった水瓶などボウフラの格好の生息地になるであろう。それを踏まえてこの重い水瓶を傾けて中身を適当な水槽の中に出してみた。重い、汚い、臭い、救いようのない作業であったが、その甲斐あって琥珀色をした不思議な水を得ることができた。

 これを丹念に落ち葉、水、そして生息しているであろうボウフラに分ける。細やかな作業であるが虫の研究ばかりしていた学生時代に戻った気分になる。実にすがすがしい。気持ちが若々しくなった気がする。しかし、ふと水槽の水面に映る自分の顔を見れば、すっかり年を重ねたそれである。現実とは残酷である。

 話を元に戻す。こうして分離したボウフラを桶に移して大雑把にカウントした。その数、200匹近く。おぞましい。詳細な写真を掲載したいところだが、見ると気分を害される方がいるかもしれない。私もお叱りを受けるかもしれない。上の写真が限界である。なお、ヒトスジシマカの雌が一生に産む卵の数は数十個から100個ほど。仮にこの200匹近いボウフラの半数、100匹が雌になるとすれば将来的な蚊の発生数は数千から1万。こう考えれば、水瓶1つの掃除といえど実に有意義であったと言える。

3. 対策の考え方

 さて、こうして得たボウフラはどのように駆除すればよいか?簡単である。彼らは水中でしか生きられない。乾いた地面に水ごと流してしまえばよいのである。残念だったねと言い放ち、そしてカラカラに乾いた排水溝へと流す。傍から見れば、もはやどちらか正義か悪か分からない光景である。

 ところで掃除をした後の水瓶である。せっかく中身を出して綺麗にしても、時間が経つと再び雨水と落ち葉が溜まり元の木阿弥である。定期的に掃除をしなければなるまい。実に面倒であるが、さりとて親に任すには酷である。ここは害虫駆除の世界で得た知識を活用して親孝行すべきであろう。つまり殺虫剤の出番である。最終的に殺虫剤のお話に帰結するのはこのブログの宿命である。

 では今回選ぶ殺虫剤は何か?状況を整理すると、まず水瓶に今後も落ち葉と雨水が溜まりボウフラが再び出現することは避けられない。次にその後を冷静に考える。ボウフラが出現しても即座に影響は無い。その後成長したボウフラが成虫に育って初めて吸血の被害が起こるのである。であれば答えは明白である。成虫になる手前で効く殺虫剤を水瓶の中へ定期的に投下するのである。詳細は商品ページに譲るが、そういった効果を持つものにスミラブ粒が挙げられる。これを使い方に則って撒いてあげればよいのである。実にシンプルである。

4. エピローグ 殺虫剤の使い方は要確認

 最後に余談を紹介したい。汚い水の中からボウフラをふるい分ける作業中のこと、大きなヤゴが見つかった。もちろん人には害が無い。後で掃除の終わった水瓶の中に返してあげてもよかったが1つ問題があった。上記で紹介した殺虫剤(スミラブ粒剤)は昆虫全般に効くのである。このヤゴも例外ではないだろう。トンボになる手前で死亡してしまう恐れがある。これは避けたい。今回は別に水槽を用意して移住させる措置をとったのであるが、殺虫剤を使う上でこのような基本的な知識の理解は極めて重要である。

 殺虫剤の使い方の注意はラベルに記載されている用法用量を見れば分かる。しかし現実はどうだろう。本当に理解があっているのか不安に思うこともあれば、思わぬ勘違いから誤った使い方をしてしまうかもしれない。話題は逸れるが、料理の本を見ただけの知識で夕食を調理した私がとんでもない失敗作を作ってしまったのと同様である。詳しい人に経験を含めて聞いてからすればよかったと思うことは古今東西多々あるであろう。以上より、もし殺虫剤の使い方や選び方にお困りのことがあれば弊社までお問い合わせをと思ったところで本日は筆を置かせていただきたい。

転ばぬ先の防虫対策

秋分の日と打ったはずなのに醜聞の日と変換されてしまった男が書くブログ

 某日、帰宅直前の社内階段にて。壁面に何かが付着していました。いつも通りハエトリグモかと思っていましたがコオロギとかバッタ系の虫でした。調べる気力がありません、気が向けば後日改めて種名を掲載します。サイズ比較はこの通り、一円玉よりもうんと小さいです。

 なお、その虫がへばりついていたのは階段のココ。指で指し示してみましたが微妙だったので矢印を追加しています。こんな小さな虫がよくこんな高さまで上がって来れたなと感心しました。

 せっかくなので記録を残しておいてあげましょう。翌日、調査で使用するレーザー距離想定器で実際に到達した高さを図ってみました。現場の人間あるある、仕事で使う機材を日常の些細な出来事に使ってしまうアレですね。

 さて、その結果はこちら。高さ4メートル。地道に階段を登り続けたのか、あるいは壁を延々と登り続けたのか。いずれにせよ、あんな小さな虫にしては快挙でしょう。まぁ、毎年年末に42.195キロのフルマラソンを走る弊社メンバーも人のことは言えませんが。

 ところで弊社の玄関周りは駐車場や倉庫などコンクリートの海が広がっています。そしてお隣さんの建物も同様で、その裏にようやく草地があるという具合。それでも小さな虫が弊社に辿り着いて屋内に侵入し、そして4メートルの高さまで侵入していた。この事実には少し驚きです。

 つまり異物混入対策として虫の侵入に注意を払わなければならない工場や飲食店も同様で、「まさかこんな場所にまで虫が!?」ということの無いようにしなければなりません。定期的に虫取りトラップを置いて虫が侵入していないかチェックする、建物の外周に色々な害虫に効く殺虫剤を散布するなど、日ごろの防虫対策の積み重ねが転ばぬ先の杖になってくれるのではないでしょうか。

 それと最後に。今回活用したレーザー距離測定器を含め現場あるあるなのが機器類の電源切り忘れ。そして次の現場で使おうと思ったら電池が切れているという・・・。使ったら電源を切る、現場の鞄には万一のために予備の乾電池を入れておく、転ばぬ先の杖として心がけておきたいことですね。現場の監督者のような言葉を申し上げたところで本日は筆を置きたいと思います。